幸せに生きるためのヒント/環境が悪いから不幸というわけではない

旅の話

先日3度目のフィリピンに行きました。

何度でも訪れたいフィリピン: https://isseiec.com/philippines2019

過去2回はマニラだけに行っていたのですが、今回はMarikaban島にも行ってきました。

Marikaban島: https://isseiec.com/marikabanisland

新しい場所を旅するということは当然新しい人たちとの出会いもあるということです。
Marikaban島で会った人たち。
彼らは日本人感覚の環境から見ればあまりいい良いとは言えません。
しかしとても幸せそうに暮らしていました。

紛争が理由でMarikaban島へ

今回はMeoの紹介でMarikaban島の人へ行きました。


写真右から2番目の子供が乗っている下がMeo。
2018年、二度目のフィリピンに行ったときに会った。

そこで出会ったのが島で暮らす人たち。


元々の故郷はミンダナオ島。
2007年に船で1年かけてMarikaban島へ逃げてきた人たちです。

ミンダナオ島を離れた理由は武力紛争があったから。

平和な日本では考えられないことです。

しかしMarikaban島に着いてからも問題があります。
話す言葉が違うのです。

『フィリピンって皆英語が話せるんでしょう?』

自分の周りでもこの考え方の人が多いのですが、実際は違います。
確かに学校で英語の教育や英語で教育を受けるので、学校に行って育った人は英語を使えるようになることが多いです。
しかしマニラではタガログ語が多く使われており、英語が通じない人も多数存在します。

そして地方に行くと更に状況は変わっていきます。
タガログ語ですら通じない人たちもいるのです。

元々の故郷、ミンダナオ島ではタガログ語は使われていなかったそうで、Marikaban島に着いた当初はタガログ語を話すことができません。
今でこそタガログ語でコミュニケーションを取れるようになったそうですが、来たばかりのころは大変だったそうです。

足りないものがたくさんある

苦労はそれだけではありません。
日本では当たり前のものも当たり前ではありません。

  • 電気

家の電気はこの電灯がメイン。
本来この明かりはこの家のものではありません。

元々は海岸沿いを明るくするため、日中にソーラー発電をして夜の間明かりが点くというもの。
しかし島に嵐が来た際に海岸沿いの明かりが壊れて外れてしまいました。
そのうちの一つを持ってきて家の近くに取り付けたそうです。

  • ガス

キャンプで良く使うようなガスコンロ。
そんなものもありません。
料理の際は乾燥したヤシの葉を燃やして料理の火として利用します。

  • 食べ物

極めつけは食べ物。
電気、ガスならなくても生きていきます。
しかし、彼らの生活は時に食べるものにも困るそうです。

家族のメインの収入はジョシュア(写真真ん中の子供を抱いているイケメン)のバイクを使ってタバコを運ぶ仕事。


しかし、その仕事だけで家族全員の食料を賄うのは不可能。
なので時には食べない日もあるそうです。

Joshua『島に観光来てくれて料理を一緒にするのは非常に助かるよ』

『それでも幸せ』

日本人目線では裕福ではない状況ですが、『それでも幸せ』と言います。

『将来どうなりたいとかはよくわからないけど、今の生活が続いて欲しいと思う。
不便で毎日満足に食べられるわけじゃないけど、家族皆で笑って暮らすことができるから。
家族が一緒で笑って生活できる、そんな生活を続けていきたい』

『もう少しだけ食べものが増えてくれたらいいとは思うけどね』

幸せに生きるためのヒント

彼らの生活は日本人感覚の暮らしから見ると不幸な状況に感じるかもしれません。

ないものを数えていたってどうしようもない!
そこにある幸せに気づくことこそが本当の幸せなのかもしれない。

なんてことを思いました。